あゆむん日記 -店の親父と定食と-

だらんだらんした生き物の停滞する日記。もう大概ツイッターにしかいませんけど

門前払い

 朝から新快速に乗って京都へ移動。
 安国寺恵瓊が再興した東福寺退耕庵にある茶室作夢軒。
ここは関ヶ原の謀議が行われたという話があるので、
行こうと思って、昨日、新幹線から電話をしたんですが(予約制)
8月はダメだと言われました…さすが恵瓊の寺…。毒
まあ、京都は10月がオンシーズンですからね…。


 さて、そうなると、伏見城遺構巡りしかありませんわな。
 というわけで、1件目は東山7条の養源院。ここの本堂は伏見城中御殿の移築。
しかも、天井は床板で、落城時の血の跡が黒々と残る血天井
15年前に行った時は予約制だったけど、現在は普通に行けば見れます。
案内のおばさんが喋ってくれた事は、今はカセットテープで案内してくれる。
つっても、言ってることは昔と変わらない気が。笑
留守居役の事を「お留守番」と言うのが笑える。
(戦略的に捨て城だったので、決死の留守番部隊です)
そんなお留守番の内府の老忠臣・鳥居元忠の倒れてる姿が黒々と残ってますが、
それより、もう全然、秀吉の謁見の間の松の間とかしか興味がありません。死
だって、別に元忠自体に思い入れは無いし。インパクト云々なら昔1回見たし。
ちなみに同様の伏見城の血天井は、ここの他に、
洛北西賀茂の正伝寺、大原の宝泉院、宇治の興聖寺、鷹ヶ峰の源光庵にありますが
どれも場所が遠いので僕は行ったことがありません。


 ここの向かいは有名な三十三間堂。千手観音が沢山ありますが、弓道でも有名。
長いお堂の端から端まで矢を射る「通し矢」の中でも、
24時間やる「大矢数」は桃山時代から流行ったそうですが、
秀次どのもやったようです。回りも徹夜で応援するものらしく、
兵庫も矢を渡したり、応援したのかと思うと、ちょっと笑える。
塩小路通りに面した塀は秀吉が寄進したもので、あのハデ好きにしては珍しく超地味。笑
その地味で頑丈そうな感じに、手配は三っちゃんがしたのかなと思いました。笑
ちなみにここは33間堂という名前だけど、1間は長さの単位ではなく、
柱の間という意味です。笑


 この辺は背後に秀吉廟所・阿弥陀ヶ峰のある豊臣エリア。
その麓、六条の方広寺と豊国神社へ。前者は国家安康の鐘でお馴染み。
神社は本殿正面の門が伏見の移築といわれる唐門。
ああ、もう、キラキラですよ。キラキラ。笑
宝物館で物凄く、蚊に喰われました…養殖してんのかよ。違
相変わらず、内府が真面目にぶっ壊してくれたので、
神社と寺の大仏を含む巨大な廟所はもう無く、山頂には五輪塔が立ってるだけなので、
登りませんでした…ムリだよムリ…。


 神社手前の耳塚を通って、2ブロック手前の道楽という料亭を見に行く。
ここは京都の左近屋敷と伝えられてます。建物もままなのかは良く分からないけど
まあ、多分そうかなと。ちなみに、我々は貧乏なので中には入れません。笑
それにしても、物凄く方広寺に近いので、普請中は便利だったでしょうね三っちゃん。笑
つか、左近は狙って構えたのかな?
左近のウチがここだとすると、京の石田屋敷ってこの辺だったのかなと思うんですけど、
全然分かんないんですよね。つか、京都って何か、
幕末より前で平家より後の事って良く分かんない事が多い気がする…。
左近の家の話聞いた時驚いたもん。他の大名屋敷の位置とか全然聞かないのに…。
調べれば分かるんですかね?
ちなみに聚楽第は二条城の上あたりにあったようです。今は碑だけあるらしい。
でも、それだとここじゃ遠すぎるんで、その後に作ったか、別宅かってとこだよな。


 で、ここは六条なワケですが、六条河原と言えば処刑場。
三っちゃんが処刑されたのもここです。でも首が晒されたのは三条。
…何でだろう。六条は処刑場&阿弥陀ヶ峰の真っ正面だからだろうけど。
三条まで持ってったのは何故? あそこが晒し首のメッカになるのは江戸からでしょ?
秀次の妻子が処刑されたのがここだからなのかな?
(秀頼を利用して)豊臣家に刃向かった謀反人という扱いなのでしょうか。酷…。


 適当に昼を喰って、四条の祇園へ。鍵善の葛切りが食べたかっただけです。
(鍵善は幕末開業。←この辺幕末ヲタ。笑)
今回の旅でご当地らしい喰い物を喰ったのはこれが最初で最後。笑
美味でしたが、意外に量があって、途中でしんどくなりました。死


 で、京都に来た三成ヲタが行くところと言えば、当然、奴の墓。
バスに乗って向かうは洛北の大徳寺三玄院(三成・浅野幸長・蘭丸の弟の3人が建てた寺)。
ここは大徳寺という大きい寺に小さいのが集まってるというつくりなのです。
再興は堺の豪商がメインで、各大名も寄進してるのですが、
三っちゃんは堺奉行で、街の再開発を担当したので、
その縁で、一等地(本殿左奧)の区画を貰ったんだと、俺は思います。
しかしその中は非公開のところが多くて、三玄院も非公開…。
入ったという話を聞いたことがないので、昨日今日の非公開ではありません。
門の前に碑がある(写真左下)だけ優しさなんでしょうね…。入りたい…。お参りしたい…。泣
ガラシャ夫妻の墓があるトコは公開なんですけどね…。見たくねえよ…。オイ
三玄院は茶道で有名な寺らしいので、茶を極めれば入れるかもしれません。笑
 ちなみにこの大徳寺の唐門は聚楽第の遺構(10月第1日曜日のみ公開)、
真っ赤な三門は利休が自分の像を置いて、秀吉に切腹を命じられたことで有名ですね。


 時間ももう夕方なので、もしかしたら開いてるかもと思って二条城へ。
4時まで(今は5時前)だったんで閉まってました。笑
ここの唐門も伏見のですね。他にも確か移築物があったはず。
養源院も廊下がうぐいす貼りですが、ここもそうだよね。
ここだけは6、7年前に行ったので、記憶は新しいな。笑
そうそう、ここの駐車場に仙台育英の応援バスが沢山止まってて、不思議だったんだけど
この日、負けたらしいですね。だから観光してんのか。納得


 この時間になっても開いてるトコはもう、東西本願寺と東寺、清水ぐらいなもんです。
距離的に清水は間に合わないので(6時まで)、お西さんへ。
同じ本願寺でも東には今行く気になりません…(内府の寺だから)。
なんか、本堂大修理してるんですね。知らなかった。
足場が凄いっすね。スタジアムか屋内スキー場みたいだ。笑
 確かここにも伏見から移築された唐門があったはず、と
15年前の記憶を掘り起こして行ってみる。
昔は外からしか見れなかったんで、外から行ったんだけど、
今、サイトを見に行ったら、今は中からでも見れるんですね。
惜しい、両側から見れるチャンスだったのに。別に良いけど。←どっちだよ
いやあ、相変わらずキラキラですね。あんだけ勤め先でキラキラに囲まれてれば
自宅は地味になるに決まってますよね、三っちゃん。笑
 あとお西さんと言えば、新選組でお馴染み太鼓楼がありますが、
個人的ブームピークが10年前に去っているので何とも思いませんでした。
一番ピークの時に高3だったから、幕末関係は全然行ってないんだけど、
もう、そんなに行きたいとか思わんなあ。


 観光地の夜は早いというわけで、タイムアップ。
お土産買って、メシを喰い、本日の宿へ。
いやあ、昨日もだったけど、今日も凄かった!
TVが100円TV!!驚
マジ懐かしい! 超久しぶりに見たよ!
関西の安宿はすげえわ。いやあ、びっくりびっくり。
そう考えると、米沢と大垣のホテルは超お得だったんだな〜。
 関係ないけど、ドアをノックされたので「どなた?」と訊いても返事無し。
一応開けてみたところ、立っていたのは白人男性。
「I'm mistake.(部屋間違えました)」
そりゃあ「どなた」なんて訊いても返事無いわな。笑