あゆむん日記 -店の親父と定食と-

だらんだらんした生き物の停滞する日記。もう大概ツイッターにしかいませんけど

パトカー

 3日目最終日。
 さて、メインイベントとも言うべき、
三成の居城、佐和山城跡登山です。
午前中に登らないと暑くて死ぬと思ったので、
ムリヤリ早起き。8時頃の新快速に乗って彦根へ。
それにしても、京都の人は朝が遅いのか、
7時半に駅前に行っても、店が全然開いてないんですね…。
東京だと結構、普通にやってますけどね。
ベローチェが開いててくれて助かりましたよ。


 さて彦根。駅から見ると佐和山はすぐ近いのですが、道は若干遠回り。
(駅のホームに立って、彦根城つか市街方向と反対側の山が佐和山です)
搦め手側の龍澤寺裏のハイキングコースから登る。
 …何も無いのは分かってた、ハイキングどころのレベルじゃねえだろうとも思ってた。
だから長袖長ズボンに帽子、虫除けスプレーも買ったよ。午前中に来たよ。
…でもここまで登山だと思わなかったよ! ハイキングの看板降ろせよ!
けもの道どころか、膝まで草が茂ってる所が続出。(でも、多分、ここが道)
草刈り鎌の長いやつ持ってくれば良かったよ!←オイ
時々出てくる立て看板が無いと超不安。現に途中で一度道を誤って少し戻った…。
大体、既に道に蜘蛛の巣がはってて、棒で払って進む始末。
絶対ここ1、2週間は誰も通ってねえよ…。
6月に来た時、登らなくて良かった…絶対ヒルが出た…。
 僕は東京育ちだけど、母上の田舎が山なので、意外とこういう山は大丈夫。
だから拾った枝で前を払いながら進めたりとかするんですけど、
そうじゃない人は多分ムリです…。
 整備っつーか、草刈りがされてたとしても、全長が2キロ弱。
道自体が結構険しいので(下りがヤバイんですよ)、城廻マニアのサイトに
所要時間20分とか書いてあるけど、絶対無理。1時間弱はかかります。
(ていうか、あーいうサイトの写真見ると、全然今より道がマトモそうだから
ここ1,2年で行った人はそんなに居ないみたいなんだよな…)
 山頂の本丸跡のお地蔵さんのお賽銭に500円玉をはずんで来ましたが
誰か取りに行ってくれるんですかね…。遠い目


 まあ、必ず二人以上で、(ちょっとでも足を滑らせたら落ちるような道です)
長袖、長ズボン、靴下+運動靴、帽子着用、虫除け持参で、
山を登ったことがある人、もしくは自然慣れしてる人と、
季候の良い天気の良い日に登って下さい。
そして、途中で棒つか枝を拾いましょう…。
5〜6月は山(に限りませんが)は虫が多く、毛虫やヒルが出るので、用心が必要です。
 兎に角、色々分かりにくいので、地図と写真解説を合わせたものを
後日作ろうと思いますが、(現在の山中の道は流石に覚えてないのでムリ…)
下りの傾斜を考えると、国道沿いより、搦め手から上がった方が良いと思います。
搦め手側のが道が急なので、あそこを降りるのは難儀かと。


 そんなこんなで万歳しながら(へとへとなので出口が超嬉しい)コースを出ると、
そこは国道。例のエセ佐和山城(的な建物。駅から見えるのはコレです)
が街道脇に建ってました。笑
永久に開くことは無いんでしょうね…あの佐和山遊園。
 目の前のトンネルをくぐって
(歩行用トンネルの出入り口には三成のレリーフがありますが、ツタで見えません…)
国道8号線を駅と反対側に進んでいくと、大手門跡がありますが
超分かりにくいです。
思わずJRの線路を越えそうになって、幾らなんでも、こんなにでかくは無いだろうと引き返す始末。
「あそこの堀と、土盛りみたいなの気になるな〜。でも、もうちょっと何かあった写真を見たんだが…」
とか言って街道からずんずん奧へ歩いていって、
途中で通りかかったミニパトのお巡りさんに尋ねると
「多分、あそこだと思うんだけど、見に行ってみる」と言ってくれ、
引き返してきて「やっぱそうだ。200メートル送って上げるよ」
と言って送ってくれました。初めて載ったよパトカー。笑
で、着いたところは…ここ、さっき気になって見てたトコだよ!
野生のカンは信じた方が良いみたいですな。笑
つっても、俺達が道を訊いたところは、位置から言って裏門跡。
おや、意外と無駄なことしてない。笑
 ていうか、でかすぎるよ…。そして、何もないよ。死
昔は信長も良く滞在したらしいので、元々敷地は大きかったのかもしれないけどね…。
こんなに大きかったら、各入り口に屋敷作るかもしれんわ…。
 ちなみに近江鉄道は敷地内を縦に突っ切る感じで走っています。
トンネルから地上に出た辺りが大手です。乗ったら楽しかったかもな。笑


 そういえば、今年は彦根城築城400年祭が行われていて、
佐和山一夜城建築というイベントがあるんですが
何処に作る気なんだろう…。龍澤寺の前の公園みたいなトコかな…?
山頂は絶対無理だろうし。まさか、佐和山遊園じゃねーだろうな…。


 で、話は戻って、その大手門。
移築されて現在は彦根城下、キャッスルロードに面した宗安寺にあります。
他に移築物としては彦根城の部品(石垣とか)、彦根城太鼓門櫓、
多賀町(近江鉄道多賀大社前)の高源寺の総門(これが裏門と言われてる)。
がありますが、ま、前者二つはこないだ見たし、行くとムカツクので。
で、高源寺は遠いのと、場所が掴み切れてなかったので、宗安寺へ。
城の敷地面積のワリには門小さいよね。流石、合理主義。笑
奧に行ってみると、本堂は長浜城の移築物だったりと、意外と名刹。失礼
夏の陣豊臣方の木村重成の首塚があったので、お参りしてみました。
良く考えたら墓参りツアーみたくなるんだから、線香を束で持ってくれば良かったのかも。笑
 門前の酒屋に左近と三成の名を冠した地酒が売ってたので、買ってみました。笑
持って帰れないので宅配送り。
左近のが売れるらしいですが、それはイメージの問題と、
辛口純米酒だからなのではないでしょうか?笑


 まだ時間はあるぜ! というわけで、電車で長浜へ。
三献の茶の銅像がある駅前からタクシーに乗って、三成の産まれた石田町へ。
石田邸跡の石田会館は水曜午後と日曜午前の週に二回だけ展示物を見せてくれるらしい。
で、今日は? うん、月曜日だよね!
 説明書きに寄ると、石田家の面積(おそらく所有地)は1丁4反歩。
坪に直すと4207坪。約1.4haなので、分かりやすく言うと120m四方の正方形の大きさ。
ん〜でも、庄屋さん名主さんレベルで、まあ、普通かな〜。
家の敷地が4000坪だったら、もう城だけどな。笑 
 産湯の井戸は見ませんでしたが、だって別に、そこで産湯を使ったわけじゃねーじゃん。
そこで汲んだ水ってことだろ? 良いよ…。
 石田家の慰霊碑つか、お墓にはお参りしました。ここも関ヶ原後、壊されたそうですね。
そして、敷地内で涼んでたお婆さんに珍しがられました…。遠い目


 さて、この辺は戦国遺跡が密集してるので、一番近かった姉川へ。
車窓から見える伊吹山茶臼山関ヶ原から三成の逃走経路ですね。
(佐和山か石田町に帰ろうとしたのかと思ったけど、逆方向だね)
そんな(?)姉川河川敷。子供が遊んで居るのを見ると、ここら一帯は浅瀬なんですね。
川を渡って、戦ってたわけだ。なるほど。


 他にもいっぱいあったんだけど、メーターの料金と(笑)
長浜城歴史博物館の入場が4時半までなので、長浜駅へ引き返す。
ちゃんと間に合いました。笑
 そんな長浜城は琵琶湖を半ば埋め立てて作られてます。
凄いよ、湖の中だよ! リゾートホテルみたいなトコだったんだね!笑
 初期の天守を模して作られた博物館は、現在の大河にあわせて一豊展の真っ最中。
一豊は一時期長浜城主だったからな…。(その後は三成の所領)
気にくわない気にくわない言いながら、展示見てましたが…。死
今年一年こんな調子らしいが、
9/22〜10/22までの「盟友−石田三成大谷吉継展」が猛烈に見たいです、先生!誰
でも、10/23〜11/23の第12回テーマ展「豊臣秀次家臣団と一豊」
も見たいです!病
秀次家臣団と言えば兵庫ですよ。石田家三家老ですよ。咲
 1階のミュージアムショップで2000年にやった三成展の図録2冊が売ってたので買う。
レジでおじさんに「学生さん?」なんとなく頷いたら。←嘘をつくな!笑
「だよね、普通は買わないもんね〜」と笑顔で言われる…。
今日、こういう反応されるの何回目かなあ…。遠い目
 でも、この図録2冊は秀逸! こんなにまとまって載ってるのは滅多に無いよ。
本当に分散してるからな。そして、無いと思ってた物が載ってるね。
吉政が貰った脇差! あ、これは正宗じゃなくて貞宗なんだね。
つか、東京国立博物館蔵って……こないだ無かったよ……。見たい〜!泣
吉政ちゃんと取っておいてくれたんだな。良かった。
でも、三井所蔵の例の短刀は載ってない…。ちゃんと、余所にも貸し出せよ!怒
 そして、噂(?)の真田兄宛の手紙が沢山載ってる。
この内容が超私信なのですが大概は「手紙見ました。早くお返事かお会いしたいのですが、
お城御番で(多分、伏見城)やど(家)に帰る暇もないので、叶いません。
ごめんね、もうちょっと待ってて、明日は明日は帰れると思うから!」
みたいな内容ばっかり。かと思うと、ぶっ倒れて
「お見舞いありがとう。何度も来てくれたのに会えなくてゴメンナサイ。
明日は起きられると思うので、会ってお礼が言いたいです」とか。
…寝てろよ! あんた過労死するよ!泣
隣に住んでる(伏見石田上屋敷と真田兄邸はお隣)奴に会えない程ってどんなだよ!号泣
そりゃ、文字も投げやりになるよ(彼のにしては字が乱雑)。
つか、態度が横柄とか言われるよ。疲れてんだもんよ。眠いんだよ。
 それにしても、この文書、年が確定されて無いみたいな書かれ方をしてるんですけど
多分、やれば出来るんじゃないか? ていうか、結構内容繋がってるし、
明らかに1594/9/25付けのと繋がってる奴とかあるよね。
多分、この辺りの固まりなんじゃないかなと。
それにしても、気になるのは兄が忠勝から貰った手紙を丸投げして、
それに三っちゃんから返事を書くという内容の数通。
どんな話だ?謎。義父から貰った手紙に対して(この頃は既に既婚)この対応は、
政治的色合いが濃い話なんじゃないかなと思うんですけど。
どうなんでしょう? 忠勝んとことか真田に何か残ってないんでしょうか?
 ていうか、こんだけ仲が良いと、
兄が関ヶ原で東軍について、上田を攻める側に回ったのも、
秀忠を上田に留め置く為の工作だったんじゃ無いかと思わなくもない。
このぶっちゃけぶりとか、一番仲が良い兄が向こうに回ったこと、
この手紙を兄が取っておいたこととかを考えると、
それで結構納得いくんですけど、やはし暴論ですかね?笑
 それにしても、幸村より兄のが仲良かった感じっつーか、吉継と良い勝負でマブダチじゃん、兄。驚


 そんなことばっかり考えながら、米原から懲りずにこだまで帰る。
弁当を買わなかったので、途中で「お腹空いた」しか発しなくなってました。子供かよ。笑