あゆむん日記 -店の親父と定食と-

だらんだらんした生き物の停滞する日記。もう大概ツイッターにしかいませんけど

土木工事の達人

 忍城に行ってきました。例の水攻めの城。
 というわけで、写真は三階櫓。
他の写真はこちら
今回、写真をあんまし撮らなかったけど。
(撮るものないし…)


 吹上駅からバスで(1時間に2本)忍城へ。
つっても、城は特に何も無い訳で(門と櫓は復元)、
博物館も、どっちかって言うと埴輪?笑
後は三ったん達の苦労の跡が忍ばれる城の地図位か。
ここって、展示がわりと丁寧なんだけど、無防備。笑
とてつもなく無防備。見やすくて良いと言えば良いのか…。反語


 役所を通り過ぎたところにある某中華ファミレスで飯を食って、
目指すは本陣、丸墓山古墳(水攻めの時の本陣ね、城攻めの時は違う所に居たから)。
バスが二時間に一本だったので、バスは諦めて歩く。
 途中、水城公園(城大手から見て左側のでっかい池)の近くの、
老舗菓子屋でアイスを買って食って歩いてたら、相当溶けて来てたらしく、
あとで、鞄の外ポケットに手を突っ込んだら、ベたべたになってました。笑
ていうか、今日、このチェーンの店に3回入りました。それ程、糖分が必要だった模様。
 そんなこんなで、さきたま古墳群の中の丸墓山古墳。
ここが石田さんの本陣ですが、登ってみるとそこそこ高い。
ここに居て、鉄砲水で流されて溺れそうになるのか…?…ならんだろう…。
(集中豪雨で堤防が決壊しました)
と思いきや、真ん中へんに段が作ってあるよ。
馬で登れる様にくるくる道を造ったんだろうけど、そこだけ広い。
ああ、もしかして、ここにいらっしゃいましたか…? 素直に上に居ろよ!
大将が自ら現場監督しちゃダメ! つか、結構水死したみたいだから、
家臣が皆で助けてくれたんだとは思うけど、多分、相当泳げたんだろうね、あの人。
生家の裏、川だったしな。近江だし。…泳げて良かった。泣
ていうか、城遠いな…。そして、堤作ってる時、埴輪とか出まくったろうな。笑
 そういえば、古墳群一帯はシロツメクサが正に敷き詰める様に咲いてて、
殿に花冠を作ってあげたくなりました。カワイイな〜。痛


 そこからは、緑道をひたすら歩いて、新幹線高架沿いの石田堤史跡公園へ。
現存の250mの堤(今は堤じゃなくて道路)の近くに公園があるのよ。
 新幹線高架下にまたがってある公園には、堤の地図とか復元堤とかがちょっとあります。
 高架橋の真下には、何か、オブジェがあるんですけど、
丁度、高架補強工事中で囲われてて、見れるけど入れず…。
…また…またなの…刑部…天気良いかと思ったら、こう来ましたか…そうですか…。
秋頃リベンジでしょうか…。泣


 そんな石田堤は全長28キロ、堤幅は約15m、高さは7m程度。工期は1週間。
いくら、自然堤防とかを繋げたとは言え、
これを、今で言うと7月のクソ暑い梅雨時期に良く作ったよ…あり得ないよ1週間…。
(ちなみに刑部がメインで作った高松城の水攻めの堤は、
全長3キロ、高さと幅は今回と大体同じで、工期は11日。
しかも、高松城は城の背後は山地なので、色々と比較になりません。
もう一つちなみに、紀伊の太田城水攻めの時の堤は全長6キロ)
 水攻めはもう秀吉様のご命令だと思うので(手紙から察するにそうとしか思え無い)
「絶対無理だけど、ハイハイやりますよ。作れば良いんでしょう?」
という半ギレ状態で指揮してたろう刑部と三ったんと、
それに挟まれて計算をし続ける正家の苦労を思うと、
戦云々じゃなくて、土木工事能力を褒めて欲しいと思いました。笑
だって、もう、小田原で城と城下町作って来てるし…。
土木の人々は殿を神と崇めれば良い。笑
 つか、秀吉様、すげえでかい人造湖になってるのを見たかっただけなんだろうね…。酷い…。
(どう見ても、一番良いの兵糧攻めだし、小田原落ちればこっち開城されるに決まってるし…)


 そんなこんなで、結局、公園から吹上まで歩いて帰りました。


 ちなみに、我々には歩ける距離ですが、まあ、普通はしないと思いますので、苦笑
車以外での一番良いコースは、俺が思うに、
行田市駅からバスでさきたま古墳へ、古墳公園内にレンタサイクルがあるらしいので、
それを借りて、石田堤公園へ往復、古墳から再びバスで忍城へ、
忍城から行田市駅まで徒歩、若しくはバスで吹上へ。
ってところかと。ただ、行田市駅と城、古墳を繋ぐバスは2時間に1本なので、
そこはちょっと考慮が必要かなと思います。
まあ、歩いた方が地理が分かる様になるってのはあるけどね。←負け惜しみ