あゆむん日記 -店の親父と定食と-

だらんだらんした生き物の停滞する日記。もう大概ツイッターにしかいませんけど

最近買った本

 あんまりにも、最近書いてないので溜まりに溜まってるのだが、
とりあえず、1冊だけ。

中原中也の手紙

中原中也の手紙


 山口で中也記念館に何となく行ったら、まんまと読みたくなったので、お買い上げ。
版元にはまだあるっぽいけど、密林で古書。
 中也さんの親友の安原氏の手元にあった手紙100通と軽い説明を加えた本。
手紙自体は倍くらい来たようだけど、手元に残ってたのが100通だったそう。
 本文は読んでも、安原氏自体が、あまり自分のことを書いてくれてなかったり、
手紙全部が繋がってる訳でもないので、
(無くなったのに書いてあるというよりは、会って話した事とかなんだと思う)
多少、説明はしてくれてるんだけど、分かんない所が多々ある。
特に、何でこんな話になった訳?つか、この時期は会ってたの?とか。
そこで、この本は、復刊に伴って付けられた、最後の息子さんの文章が、
何気にヒントになってる気がする。
 特に、中也さんより、安原氏の他の友人達との関係。
友人達っていうか、ピンポイントで大岡さんなんだけどさw

時にこの時*1のやりとりは(詩人)はもとより、家族にとっても(詩人)の辛そうな姿をみることで気の重くなる悩み事であった。

とあって、この前の安原氏のエッセイ?で

ある雑誌社の(中略)インタビューで(中略)大岡が、「安原自身も変わった人間でしたからね、普通の人間が好きじゃなくて、中原みたいな人間が好きだという。詩人の友人にはよくそういう人がいるでしょう」と語っているのを見てびっくりしたことがある。普通の人間が好きじゃないのではなく(中略)外の友人とはつきあえないということである。ことに中原と喧嘩した相手とは、うかつにつきあえないということである。

ってあるわけ。安原さんにとっては、大岡さんの方が中也さんより前からの友達なんだけど、
もう明らかに確執がある。
(大岡さんはあんまし何とも思ってない気はするんだけど)
 この辺は、他の人が安原氏を何て言ってるかを見れば良くわかるんでしょうが、
なんか、もうそこまでは良いかなというか、何となく見当がつくので良いかなと。ヲイ
 中也さん自体は、本来、大喧嘩した翌日に何食わぬ顔で会いに行けるタイプだと思うので
(で、懲りずにまた同じことで喧嘩すんだろうけど)
別にそこで何を言われても煙たがられてもさほど気にしないんだろうけど、
で、相手も、そう毎回来たら、呆れて折れると思うんだけど、
安原さんは多分、喧嘩したらもう二度と会えないとか、
中也さんが気にしてないのに、代わりに気にするタイプだと思うので、
それプラス、他の人達は物書きとしてそれなりに評価されてたりとか、
(世間でどうとかいうのより、安原氏自身が評価しちゃってる感じか)
そういう事に対する、ちょっとした気後れ。
その上、無口なタイプなので、それを自分の中にしまっておくから、周りから見ると、
何か避けられてる気がするけど、良くわかんない。変な奴。
で、中也さんも「言ってくれなきゃ分からない!」になるんだろうなと思う。
 どっちが良いとかいう話じゃなくて、どっちも可愛いよなという話。ヲイ
 まあ、正直な所、俺が、音楽が無い詩というのが、どうにも本当に好きじゃないので、
(まあ、歌詞でも、覚えられれば意味不明で良いって平気で言いますけど)
出来上がった作品にあんまし興味が持てないんだよね。
そんなに暗喩と韻で塗り隠されなくても意図は分かるんで良いんですけどって思っちゃうんだよな。
作品にそんなに興味が持てないのに、人間を掘り返すのは何か宜しくないし違う気がするので自重。←しててこれかよ

*1:大岡編の全集に手紙を収録する時の掲載交渉