あゆむん日記 -店の親父と定食と-

だらんだらんした生き物の停滞する日記。もう大概ツイッターにしかいませんけど

 米沢からこんばんは。
東京駅、朝9時集合で、上杉祭りに来ております。笑
新幹線は指定取ってなかったんですが、余裕で座れました。
てなわけで、今日から3日間の日記は上杉ヲタじゃないと
きっと、いつもに増して意味不明だと思います。死


 今日は墓参りと観光&祭りの武締式(出陣式)です。
相変わらず、着いて早々、
バスを乗り間違えて1.5キロほど歩きましたが、←ダメダメ
それ以降は割と順調でした。
 最初に目指したのは直江兼続夫妻の墓がある春日山林泉寺。
奥さんのお船の方は信綱の奥さんでもありますね。←なんか微妙
墓石が二基仲良く並んでるのは良いんだけど、特に何も書いてないので、
どっちがどっちなのかは謎。多分、ひな人形と同じ並びだと思うけど。
ここには武田信清とか菊姫等の上杉家正室の墓なんかもありますが、
なんつーか、適当に並んでる感じが良い。うん、こんなもんだよね。笑
 そして続いて墓参りっていうか、墓前に謝りに(死)行ったのは、歴代当主が眠る廟所。
…つっても、景勝様と御実城様(謙信)以外は別に…。←オイ
鷹山もどうでも良いし、11代に至っては戊辰戦争で裏切ったし…。←恨みがましい
 次は上杉神社こと城趾へ。ここの資料館には、兼続の例の前立が付いてる鎧があるのですが、
実物は面白いにも程がありますね。酷
でっかい前立が流行ったんだろうなとはいえ、頭に「愛」って…。
愛染明王を信じても、まあ、良いけどさ。(どうだろうとは思うが)
頭にそんなの付けた軍略家の作戦なんか聞きたくねーって。笑
そういえば、鎧を見るとその人の体格が多少分かるわけですが、
兼続って、でかい…。御実城様も大きいみたいで、景勝様は小さいっつか、時代的に標準?
…あーそうかーそうなんだー。なんか、兼続にはあんまり大きいイメージが無かったな〜。意外。
 近くにある市の博物館には、兼続が部下に向けて書いた手紙がありました。
これがまた、字の大きさメチャクチャな乱れて流れた筆跡、
字が掠れて読めなくなる寸前まで墨を付けていなかったり、
仕舞いには日付を大きく書きすぎて、その下の時刻が急に横書き、
で、更にその下の署名が縦に潰れてて、花押が判別不能。笑
――お前はどんだけ慌ててんだよ!
知謀の男なら手紙くらいちゃんと計画性を持って書け!
そんな手紙の内容は「三成から来た手紙には俺が返事を書くから、余計なマネをするな!」
ていうか、むしろ触るなぐらいの勢い。笑
…もう、お前はどれだけ三成が好きなんだよ!←病
まあ、知ってたけどさ、知ってたけど、これ程とはね…。電波
(あ、一応言っておくと、そういう問題ではなくて、やつらが色々企んでた頃なので、
上杉家中の人でも、内容的に見られては困るような話だったというのが事実ですよ)


 武締式の本番は夜7時からなのですが、同じ場所で昼にリハが行われてました。
これが、本番より面白。←オイ
軍奉行の色部勝長こと監督(違)がダメ出しをし、更にはボヤく。笑
「お屋形様、今のところ早かったです」
「ここで、青龍隊(子供達)は御着座しない方が良いんじゃないかな?」
「…(鉄砲隊の歩き方が)バラバラ…」等々。笑
 夜も見ましたが、とても寒かったのと混んでいたので、昼見ておいて良かったかなと思いました。笑
本番は火縄銃が空砲を撃つのと、篝火が焚かれるのと、槍の二人の演武(?)がありますが、それ以外はリハ通りです。
というか、この槍の二人組、昼間、鎧を着たまま博物館に居たんですが…リハ、サボリですか!?笑
 まあ、めげずに明日も頑張って下さい、監督!違


 そういえば、僕は某上杉家臣と同じ名字なので(血縁等の関係は無い)
腐女子が「○○さん!」と彼を呼ぶと、ちょっとビクっとします。笑
 そして、安田治部少輔長秀という字面を見る度に三成を思い出します。病
(石田三成も治部少輔なので)


 写真は銀行。屋敷かよ!笑