あゆむん日記 -店の親父と定食と-

だらんだらんした生き物の停滞する日記。もう大概ツイッターにしかいませんけど

財政政策

 自分でも、狭い方ばかり気になるのはもういい加減止めておけと思うんですけど、
でも、気になる物は気になるんですよ。


 というわけで、こないだまで小栗上野介読んでたせいで、
豊臣政権下の財政政策がどうだったのか、ものすっげえ気になる。
でも、ぜ〜んぜん資料が見つからない…。


 基本的に運営つか家計(?)は正家がやってたと思うんだけど、
政策から案件とかを出して指示すんのは三ったんでしょ?
「明、攻めたいって、上様が」「え!? あれ、本気なんだ…」ってなったら、
正家が「予算こんだけしか出せないよ。普通ならこんぐらいかかると思うから…」
「足りないね…」ってなった場合、捻り出す所とか節約方法を考えるのは
治部どのの役目なわけでしょ?多分だけど。後は、コニたん辺りか。


 豊臣は222万石に金山銀山を直轄にしてたから、そりゃあ金ある訳だけど、
あんだけの普請道楽に、地震被害に、大仏、朝鮮2回で更に関ヶ原
その上、その後、所領減らされて、鉱山召し上げ、寺社普請に、夏冬大坂の陣
それで落城後に、大法馬金(大判1000枚分の金の分銅。1個165キロ)が
50個以上残ってたって、どんだけ金あったんだよ! と思うじゃないですか。
 大野さんとかが財政策をきちんとやってたという気はしないので、酷
関ヶ原後は、知行地から年間入ってくる税と、今までの貯蓄だと考えるのが妥当でしょう?
しかも、関ヶ原とか大坂の陣で相当、諸候に持ち出されてると思うんですよね。
(所詮は東も西も豊臣の金で戦ってたと思うし、皆、火事場ドロボったハズだ)
 そうなると、それでも底付かなかったって事は、五奉行の皆様方が
物凄く貯めてたって事になりますよね。
倹約してたなら兎も角、あんだけ使っておいて貯められるって事は、
どっかから金が捻り出てたわけでしょ?


 財源としては、金銀産出量が前代より倍程違うし、
石高も上がってるから税収入は上がってる、貿易寡占。
てとこかなと思うんだけど、これで、足りるの…?謎
 ん〜、まあ公に出された貨幣が天正大判だけだし(秀吉様極端だよ…)、
後は永楽通宝使ってたぐらいで、貨幣制度が全然なって無いから、
所詮は石高と、後は手伝い普請で諸大名に出させてたんだろうなとは思うんですけど…。
 でも、それでも、それだけでそんなに貯められないと思うんだよね…。
…気になる…。重税だったって言うけど、税制度も何か良くわからんからなぁ…。
三ったんの覚え書きとか、領内政策とか見てると、そんなに重そうな気もしないんだけどなぁ…。
直轄地がどうかは良くわかんないし…。


 ていうか、あんなに豊臣とか関ヶ原とかを皆、沢山書いてるのに、
そーいうとこを突っ込んで書いてある本が全然ないのは何故なんでせうね。
三ったん書いてたりすると気になるんじゃないかと思うんですけど。
能吏ぶりは検地と葦の運上金(笑)以外では発揮しないんでしょうか…。
こーいうこと分からないと、普段何してたか今イチ分かんないんだけどな。
堺屋さんとか書いてそうなのになぁ…。…まあ、俺、あの人を経済屋だと思ってな…ゴフ。殺
…売れないからか…まあ、そうだろうけど…経済なんか誰も気にしないわけか…。遠い目
 まあでも、今、頭の中は量子力学でいっぱいなので(何故)、調べるとしても、こっち終わってからな。←オイ