あゆむん日記 -店の親父と定食と-

だらんだらんした生き物の停滞する日記。もう大概ツイッターにしかいませんけど

死神

 夜中の住宅街に俺ともう一人の靴音が響く。俺が早足になると、背後の音も速度が上がる。
明らかに俺を追って来ている。気味が悪い。
 誰だ!?
 俺は我慢出来ずに振り向いた。大学生ぐらいの男が足を止めるのが見えた。
走って逃げれば良いのに、俺は何故か足を止めた。
「なんだ、トシヒロじゃない」
 俺は女の声で男を呼んだ。知っている男らしい。
 どうも、俺の意志は体の動きに反映しないようだ。それどころか、俺は今、女性らしい。
 どうなってるんだろう?
「おどかさないでよ」
 笑って駆け寄ると、下腹部に鋭い痛みが走った。
驚いて男を突き飛ばして、触れてみると、ぬるりとした手触り。
 見下ろすと、俺の腹に包丁が突き立っていた。刺されたのだ。
「ト…シ…ヒロ?」
 不思議そうに俺が男の名前を呼ぶ。
「アキコ…お前が……」
 男がゆらりと近寄ってきて包丁を引き抜く。そして、もう一度振り上げた。
「なぜ?」
 俺が問いかけた。なんてありきたりなセリフだろう。
「お前がいけないんだ!」
 やはりありきたりな言葉を叫びながら、男はまた俺を刺す。
 膝に力が入らなくなって、俺はアスファルトに倒れ込んだ。
ハイヒールがカコンと音を立てるのが微かに聞こえた。
 そこで俺は意識を手放した。

 今度は、俺は工事現場に居た。現場の隣にはどこかで見たような建物が建っている。
 斜め上を見上げれば、大きなクレーンで鉄骨が吊られている。
 それが、微かに傾いたように見えた。
次の瞬間、ガタンと大きく傾くと、そのまま振り子のように揺れて、こっちに迫ってきた。
 頭を抱えた俺の頭上を通り過ぎて、目の前に組まれた足場にぶつかった。
 崩れる!
 俺の頭上に鉄材が降ってくる。それは何故かひどくゆっくりに見えたが、足はもう動かない。
「ニレザキ!」
 誰かの叫ぶ声が聞こえた。

 目を覚ますとそこは病院だった。
 枕元でしゃくり上げる声が聞こえて、目をやると、
品の良さそうなおばあさんが白いハンカチで口を押さえていた。
 俺は喋りかけようとしたが、声が出ない。
口に人工呼吸器が付けられていて鬱陶しいし、体には力が入らなくて、指一本動かせない。
「おじいさんが目を開けたわよ!」
 おばあさんの後ろに居た中年女性が声を上げると、
どこから現れたのかベッドの回りに人が集まってきた。
「ミヤガワ会長」
 俺をそう呼んで、口々に何か言っているのだが、意味が良く分からないし、良く聞こえない。
年寄りだから耳が遠いのかもしれない。
 ガヤガヤしてるはずなのに、俺にはどんどん音が聞こえなくなってきた。
まぶたが重くて開けていられない。息苦しい。俺は耐えきれなくなって目を閉じた。

 ピピピピピピ。
 鳴り響く電子音に俺はガバっと起きあがった。見渡すと、いつもの俺の部屋だった。
 ああ、生きてる……。
 目覚まし時計を止めて、寝汗でべったりと貼り付いたTシャツを脱ぎ捨てた。
洋服ダンスを開けると、扉の裏に付いた鏡には見慣れた男が映っていた。
「俺…だよな……」
 低い声。
「夢か……」
 気が抜けて床にしゃがみこむ。
「リアル過ぎなんだよ……」

 俺が教室で机に突っ伏していると、頭を何かでバサリとはたかれた。
「三浦、寝過ぎ。もう、昼だぜ? 一限から寝てんじゃねーよ」
 顔を上げると、クラスメイトの鈴木が笑っていた。その手にあるのはスポーツ新聞。
「うるせーなぁ。三日連続で死ぬ夢見てみろ、寝た気しねーんだよ」
 俺は鈴木の手から新聞をひったくった。大あくびをする俺を見て鈴木がニヤニヤ笑う。
「今朝は何だったんだよ」
「病院の個室。なんかバアさんが泣きじゃくってた。
つーか、お前もさ、男子高校生らしくマンガとか読めよ。新聞なんてオヤジかよ」
「見出しにダマされたんだよ」
 鈴木が苦笑する。
見れば確かに一面には鈴木の好きな女性タレントが熱愛発覚という文字が踊っている。
勿論折り返し部分には「?!」が付いているが。
「おーおー、見事にダマされてんなぁ。バカじゃね?」
 ブンむくれる鈴木の前で、ガサガサと頁をめくる。
 次の瞬間、何の気無しに見た記事に俺は釘付けになった。

『通り魔は交際相手。
 昨日未明、交際相手の女性を世田谷区の路上で殺害したとして男が近所の交番に自首してきた。
 男は坂本敏広(21)で、交際していた川田亜希子さんを包丁でメッタ刺しにして殺害したと
 供述している。詳しい動機については現在取調中』

 アキコとトシヒロ。
 一昨日の朝の夢で俺は男に『アキコ』と呼ばれていた。そして、俺を刺した男は『トシヒロ』。
 出来すぎた偶然――いや、偶然としては出来すぎだ。
「オイ、三浦、どーした?」
 鈴木の声に俺は顔を上げた。
「なんか、面白い事でも書いてあったか?」
 言いながら俺の手元を覗き込む。
「ああ、コレか? コレってさ、お前が見た夢に似てるよな。ストーカーにザックリ」
 鈴木が笑いながら言った。しかし、似てるどころの騒ぎではない。
「――同じなんだ。名前が同じなんだ。凶器も……」
「まさか、正夢……ってやつか?」
 鈴木が驚いた表情で見返したその時、ズズーンと地響きがした。
 外からだ。
 教室中の人間が驚いて窓から顔を出す。
 学校の隣で建設中だったマンションの工事現場で事故があったらしい。
土埃がもうもう上がって、その中に崩れた足場らしき鉄材が山になってるのが見えた。
 風に乗って、微かに叫び声が聞こえる。
「下敷きになった奴は居るか!」
「ニレザキ、ニレザキが!」
 『ニレザキ』。
「またかよ……」
 呟いた俺を鈴木が愕然とした表情で見返した。
 足場の下敷きになった話もしたから、コイツにも見当は付いてるらしい。
けれども信じられないと言ったところか。
 そうだろう、俺だって信じられないのだから当然だ。
「見たよ。昨日の朝、夢で」
 一昨日見た夢が昨日、昨日見た夢が今日起こった。ならば、今日の夢は?
 ――それは明日起こる。
 そう。俺は毎朝、明日死ぬ人の夢を見るのだ。


 何で、急にこんな事になったのかは分からない。
 それまでは自分がどんな夢を見たかなんて良く覚えていなかった。
覚えてないということは、こんなに印象的な夢は見てなかったという事なのだろう。
 まだ続くのかも分からなかったが、その日から俺は眠らなくなった。
 恐ろしかった。
 夢には規則性がないし、分かるのはその時の状況だけだ。
新聞の訃報欄に載っていた『宮川会長』が入院していたのは北海道の病院だったし、
刺殺事件は世田谷区だった。場所すら固まっている訳ではない。
 例え夢で明日誰かが殺されるのが分かったとしても、俺にはそれを防ぐ手だては何もない。
ただ知っているだけだ。そんなのは、耐えられない。
 もしかしたら、誰かが死ぬのを見るのではなくて、
俺が見た夢のせいで誰かが死ぬのかもしれないなんて気さえしてくる。


「お前、大丈夫かよ」
 フラフラしながら登校した俺が、やっとの事で席に着くのを見て、鈴木は顔を顰めた。
「顔色最悪だぞ、また寝てねえのか? もう三日目だろ」
「だいじょう…」
 そこまで言って視界がぐるりと回った。
 ヤバイ、倒れる。目を閉じては――眠ってはダメだ!
 そう思った瞬間、世界は真っ白になった。

 次に気が付いた時、俺は自分の部屋に居て、誰かと揉み合っていた。
相手を羽交い締めにすると、そいつは叫び声を上げて、俺をそのまま思いきりタンスに打ち付けた。
 後頭部にもの凄い衝撃が走った。角に頭を強打したのだ。
二度三度と繰り返されて、俺はもんどり打って床に倒れ込んだ。
 うつぶせになった俺の顔の横に、カラーンと音をたてて、何かが落ちた。
 果物ナイフ。
 遠くなっていく意識を叱咤して、顔を上げる。側に立っている人物を確認したかった。
 けれど、胸元まで見えたところで、俺は闇に落ちていった。
 そのブレザーの胸元にあったのはウチの学校の校章だった。

「うああああああ」
 俺が跳ね起きると、保健室の先生が「きゃあ」と悲鳴を上げた。
「ビックリしたー。大丈夫? 三浦君、凄くうなされてたけど」
 学校の保健室だ。登校するなりぶっ倒れた俺は、ここに運び込まれたらしい。
時計はまだ十時。二時間も寝てない事になる。すると、さっき俺の部屋に居たのは……。
「夢か……」
 リアルすぎて、どっちが現実なのか分からなくなってくる。
 俺の部屋で起こった事が夢で、明日起こる現実だ。
そうなれば、俺の部屋で死ぬのは、やはり俺に決まっているだろう。
 「まだ寝ていろ」と言う保健室の先生を振り切って、俺は家に帰った。
 自室に居るのは嫌だったが、誰かが殺しに来るのは明日だ。
今日は取り敢えず、体力を回復して、明日一日中家に居なければいい。
 だから、もうどんな夢を見ても良いから寝ようと思っているのに、
神経が高ぶっているのか、ちっとも眠れない。
 結局、また空が明るみ始めて来た。
 そうして、また朝が来たはずなのに、次の瞬間、俺は暗い部屋に居た。
しかし、冷たいコンクリートの壁は俺の部屋ではない。
その上一方の壁には一面鉄格子が嵌っている。
 何だここは、牢屋か? 刑務所? それとも留置所ってやつだろうか?
 俺はおもむろに着ていたシャツを脱いで、両端を鉄格子の上の方に結びつけた。
輪になったそこに首を通す。
 何だよ、やめろよ。首でも吊る気か?
 足が床を蹴った。首にシャツが食い込んで苦しい。
霞む意識の中で横の壁に据えられた洗面台の鏡が目に入った。映った顔は……。

「うわ!」
 起きあがった俺を俺が見返した。
いや、それは良く見れば、開けっ放しになっているタンスの扉に付いた鏡だった。
俺はベッドから降りて、溜息をつきながらタンスを閉めた。
 時計を見れば、既に登校時間十分前だ。寝過ごしてる。
 舌打ちして、急いで身支度を整える。ブレザーを羽織った所で、ノックの音がした。
 母親かと思って開けると、そこには鈴木が立っていた。
「よ。護衛に来たぜ」
「そういえば、お前、夕べ電話くれたっけ」
 倒れたくせに一人で帰ったのを心配して、夕べ電話をかけて来てくれたのだ。
その時、明日、自宅で殺されると言ったら、鈴木が家に泊めてくれる事になった。
 とはいえ、わざわざ迎えに来てくれるとは思わなかった。
俺の家は鈴木の家と学校の中間地点だから、確かに通り道ではあるのだけれど。
「ま、俺にまかせとけよ。役に立つか分かんねーけど、一応、護身用具も持ってきたから」
 笑いながらポケットに入れた手を開いて見せた。
手のひらに乗っていたそれは、果物ナイフだった。その話はしていなかったのに。
 ――果物ナイフ……そうか……。
「お前だったんだな、鈴木。心配してるフリして俺を油断させて、殺す気だったんだ!」
「お前、何言ってんだよ……」
「もうバレてんだよ! 俺が見た夢のせいで人が死ぬのが、気味が悪かったんだろ!」
 俺は鈴木の手からナイフをひったくって、刃のカバーを外した。
鈴木に向かって振り上げると、鈴木が俺の手首を掴む。
「三浦! やめろ! 落ち着け!」
「うるせえ!」
 もみ合いの末に手を振り払うと、一瞬の隙をついて鈴木が俺の背後に回った。
簡単に横に振り払えたのは、これを狙ったのかと気付いた時には遅く、
俺は後ろから羽交い締めにされていた。でも、ここは俺の部屋だ。俺に地の利がある。
「うおおおお」
 俺は自分ごと鈴木を背中から壁に叩き付けた。一度では効かないのか腕が緩まなかったので、
何度かぶつける内に腕がずるりと外れた。
 やっと解放された俺が振り向くと、鈴木が床に俯せに倒れていた。
その後頭部が不自然にへこんでいる。
 どうしたのかと思って、ふと顔を上げると、目の前にあるのは壁ではなくてタンスだった。
その角が面取りしたように丸くなっていて、どす黒い液体が付いている。
 タンスの角……。
 急に夢の光景が思い出された。
 俺の部屋でタンスの角に頭を打ち付けられて死ぬのは……俺では無くて、鈴木……?
じゃあ、殺したのは? 隣に立っていたのは?
 力が入らなくなった俺の手から果物ナイフが滑り落ちた。
微かに持ち上がった鈴木の頭がガクリと下がって、床とぶつかる鈍い音がした。
「……うわあああああああ!」
 俺は頭を抱えて後ろによろけた。
 すると、さっきの衝撃で半開きになったタンスの内側の鏡の中から俺が見返した。
 ――鏡の中の俺は首に白いシャツが食い込んでいた。
 幻覚?
 いいや、違う。今朝見た光景だ。
 明日、俺が見る光景だ。
 そうだ。明日、俺が目を覚ます場所――それはあの牢屋だ。

― Fin ―

writing:2005/09/27同12/04改
某賞に応募するために6000字に収めようとした結果
超ウルトラ急展開に。
もっと、真面目に直した方が良かったと思いますが、
面倒なので(死)ほぼそのままUPしました。
タイトルからお分かりかと思いますが、
落語の『死神』から考えついた作品。
ただ、内容はぜんっぜん違う。笑。